
漢方医だった初代の伊東僧隆が婦人血の道治療の看盤を吉田大橋の傍に出したのがペリー来航の頃だそうで産婦人科内科小児科を併せて165年に亘って戸塚と云ふ狭いテリトリーの中で助けたり助けられたりして生きて来たわけです。
町も変化し、経済もかわり、家庭医の有り方も今の考へが何時まで続くか解りませんが、初代僧隆の逸話でこんなのが有ります。
或る時、2人の医師見習いの弟子が囲碁に熱中の餘り患家からの往診の依頼を僧隆先生に伝へるのを忘れ、だいぶ経ってからそれが解りました。
僧隆は怒って碁盤を庭へ蹴落して “医者になるなら常に目線を患者と同じ高さにして何が大事か考へろ!!伊東の家にいるのなら賭け事は一切禁ずる!!” これは明治4年生まれの先々代のオバアサンから又か?という程聞かされた話です。
今でも私はロータリーで奉仕する時は相手の身になって話を聞け!!と云はれております